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さすらいの佛教語
23回 さすらいの佛教語
 いったい砂糖がどうして仏教語かと、訝(いぶか)しむ顔が見えるようだ。
 しかしこれも仏教伝来とともに日本に伝わり、語源は間違いなくサンスクリットの「シャルカラ1
(sarkara)」あるいはパーリ語の「サッカラー2(sakkhara)」である。
 もっとも、「砂糖」の場合は梵漢合成語といって、音写語と意訳語がくっついている。つまりシャルカラから頂いたのは「砂」だけで、昔は「沙」と書き、「沙糖」と云った。後ろに付いた「糖」はその意訳というわけである。
 こういう言葉があるから仏教語はややこしいのだが、たとえば「禅定(ぜんじょう)」や「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」なども梵漢合成語である。つまり「禅」は「ディヤーナ」の音写である「禅那」から「那」が落ちたもの。それに意訳語の「定」がくっついた。また「ニルバーナ」の音写である「涅槃」にも意訳語の「寂静」がついて「涅槃寂静」になったのである。
 そんなことはともかく、この「砂糖」のさすらいぶりは凄まじい。主にパーリ語の「サッカラー」がペルシャ語、アラビア語、中世ラテン語に入り、そこから派生した英語の「シュガー
(sugar)」も「サッカリン(saccha-rin)」もこれに基づいている。
 だいたい英語の「S」という形は、もともと口の中を通る息の形を表している。つまり、舌を通過する風を象(かたど)り、さらさらした状態を意味しやすいのである。日本語にはその辺の統一性がさらに強く、「さらさら」「そよそよ」「そわそわ」など、いずれも空気の動きを感じさせる。そういえば「さすらい」もそうだ。
 「サッカラー」だと、この「さ行」のほかに「か行」も加わるから、固形物の印象が出る。さらさらした粒状のものであることが、音からもわかるのである。つまり「サッカラー」も「シュガー」も、見た目の印象であって、舐めた甘さは関係ない。 
 それからすると、舐めて甘いから「糖」と意訳し、さらに見た目も加えて「砂糖」とした中国人のやり方はじつに優れていると云えるだろう。さっきは「ややこしい」などと申し上げたが、お詫びしたい。
 それにしても、これだけグローバルなさすらいも滅多にあるもんじゃない。

()内の英語の正しい表記は、こちらです。
サンスクリット
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