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さすらいの佛教語
26回 さすらいの佛教語
 標題を見て、なかにはギターなどの「つまびき」と思う方もいるかもしれない。しかしここでは「つまはじき」と読む。
 これは気に入らない人を除け者にして避ける意味で使われるが、もともとは密教の呪法である「弾指」から来ている。正式には拇指の腹に人差し指を弾き、パチンと音をたてることで邪を払う。中指ならともかく、人差し指で音をたてるのはけっこう難しい。
 初期仏教の頃からの習慣らしいのだが、正確なことは分からない。
 道元禅師は『正法眼蔵』にわざわざ「洗浄」の巻を設け、東司(トイレ)の使い方を微に入り細に亘って解説してくださっているが、そこにもこの弾指が出てくる。
 我々にとっては、トイレだけは安息の場であり、誰にも邪魔されない個人的空間という気がする。しかし禅師は、そこでの行為こそ「仏国土」を浄めることだとおっしゃる。弾指の意味合いについては書かれていないが、それはノックの意味ばかりでなく、主に油断して魔が差すのを防ぎ、行為への集中を促すのだろう。
 水桶を所定の位置に置いたのち、便槽に向かって立ち、左手で拳をつくって左の腰につける。それからおもむろに右手で三度弾指するのである。
 雑念や邪魔を払うこの弾指にも、たしかに初めから何者かを寄せつけず、追い払おうという意図があった。それが安易に嫌な相手に向けられ、「爪弾き」になったのだろう。弾指が逆転した「指弾」は、爪弾きよりも積極的に攻撃する感じがあるが、これもやはり「弾指」から近代になって派生した。
 そういえば、罰ゲームなどで今も行なわれる額へのパッチンも、爪弾きの一種だろうか。パッチンすることで爪弾きせずに済ますのだと考えることもできる。しかし言葉の発生を考えると、あの行為こそ爪弾きの原型で、精神的な「爪弾き」は後から出てきたように思える。
 いずれにしても、弾指本来の意味は我が身を清浄に保つことなのだから、人を爪弾きすることはむしろ逆に身心を汚染することだと知るべきだろう。
 爪弾きするくらいなら、トレモロの練習でもしたほうがいい。
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「心象風月bar暮らしのなかの仏教語」

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