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さすらいの佛教語
31回 さすらいの佛教語
 袈裟懸けとか袈裟斬り、などというと物騒だが、要は左肩から右脇下にかけて、と いう方向だけを意味している。袈裟にはこの「偏袒右肩(へんだんうけん)」という掛け方のほかに「通肩」という掛け方もあるのだが、これは二十歳以上とか説法する場合というような限定がつく。
 掛ける方向にはそういった共通性があるものの、しかし袈裟ほどさすらった物も珍しいのではないだろうか。
 本来は、梵語の「カーシャーヤ」からの音写語だが、原語が意味するのは「不正雑色(ふしょうぞうしき)」と云われ、拾い集めた布きれを縫い合わせて作った外衣である。当然インドの土 の赤褐色に汚れていたのだろう、形容詞としては「赤褐色の」という意味であり、袈裟そのものを糞掃衣と呼ぶことさえあった。
 しかしこれも中国から朝鮮半島、そして日本に来るあいだ、ずいぶん華麗な変身を 遂げた。
 いつのまにか色も様々になり、継ぎ合わせていないものも出てきたし、大きさも五条、七条、九条、十三条どころか、じつは二十五条まで登場した。我が臨済宗で通常つけるのは七条だが、それ以上は大衣と呼ぶ。縫い合わせた「切り混ぜ」は、導師のみが着ける、などという勝手な決まりも、いつのまにかできてしまったのである。
 こうした「切り混ぜ」のデザインは田圃にも見立てられた。やはりインドの言葉から中国で「福田衣」と訳されたのだが、その時点で、おそらくは五穀豊穣の願いが、 仏教徒の基本的な願いにもなったのだろう。同じデザインを小型化したものが絡子(らくす)で、これを着けていれば大抵どこでも仏教徒として通用する。それがさらに儀式用に大型化したのが大掛絡(おおがら)と呼ばれる代物である。
 まぁそんな複雑な区別など、一般の方にはどうでもいいことかもしれない。一応、知っておいてほしいのは、日本の僧侶の服装が、じつにさすらいの挙げ句のものだということだ。日本の着物の上に中国の公務員の服装であった衣を着け、その上にインド伝来の袈裟を着けるのだから、仏教のさすらいをそのまま身にまとうようなものだ。
 本来の姿からさすらいすぎた坊主を憎む場合、一番さすらった袈裟を憎むのは自然なことかもしれない。
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「心象風月bar暮らしのなかの仏教語」

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