084月1日 知的旅雑誌「ひととき」Vol.8 No.4
(株)JR東海エージェンシー(JTA)
特集:富士の麓の白隠さん
「不二」と白隠観音
禅において富士はあらゆるものの源としての「不二」。
まさに、観音のごとく変幻自在に「やほよろづ」をカヴァーし、いまに生きる人々の禅を作り上げた白隠の生き方そのものだった。
禅僧にして作家の玄侑宗久氏が語る、白隠の禅の世界とは。 
文/玄侑宗久

 白隠さんは、私の属する日本臨済宗の中興の祖と云われる。つまりとてもエライ方なので、禅師の作られた「坐禅和讃(ざぜんわさん)」を唱えるときは、合掌しなければならない。
 権威を嫌い、むしろ反撥した釈尊の言葉が、やがて権威になっていくように、それは滑稽でもあるが、むしろ人情の自然でもあるのだろう。禅師はぎょろりとした眼で笑いとばすだろうが、その功績はやはり偉大である。
 宗門としては、「隻手(せきしゅ)の声」という公案を創出し、公案体系を組み直した功績がなにより大きいのだろうが、それは私の手に負えるテーマではない。ここではもう一つの功績と思える、禅の日本化、庶民化について考えてみたい。
 おそらく白隠さんほど禅を日本的に表現し、それを庶民にまで浸透させた方はいないだろうと思う。今も千点以上残る禅画に、それは雄弁に語られている。
 達磨図や観音図はむろんのことだが、禅師の描く絵には七福神や鍾馗、地蔵、あるいは牛、猿、狐、エビやみそさざいなど、大袈裟にいえば「やほよろづ」が登場し、しかもその全てが禅を語るのである。
 なにが禅なのか。それは難しいことだが、私は臨済禅師の「随処に主と作れば立処皆真なり」を憶いだす。人々にはみな暮らしがあり、切実な生活の場がある。生活のなかで拠り所としてきた信仰もある。禅師はそれらを全て認めたうえで、「今」「此処」に全力を傾注し、「摩訶衍の禅定」を修するよう勧めるのである。
 摩訶衍とは大乗仏教を意味する「マハーヤーナ」の訳だから、これはつまり衆生を載せる大きな船のように、利他(りた)の心をもって目の前のことに三昧になることだろう。そのような心で目前の事に当たれば、そこにあなたの禅が開発され、あなたはあなたの命の主人公になれるというのである。禅とは、たぶん自らが命の主人公になることだ。
 命という渾沌としたものの主人公になるために、禅師が強調したのは四つの誓願と「菩提心(ぼだいしん)」だった。
 四つの誓願とは、衆生は無辺だが必ず救おう、煩悩は無尽だが必ず断とう、また法門は無量だが必ず学び尽くそう、仏道は無上だが必ず成就しようという、「四弘誓願(しぐせいがん)」と呼ばれるものである。読んですぐにお判りのように、無辺であれば全てを救うのは不可能だし、無尽なのだから断ち切りつくすこともできない。要するに、これは不可能であるがゆえに、永遠の誓いなのである。
 菩提心とは、菩提(悟り)を求める心だが、これもいつ果てるとも知れない永遠の道だろう。生きている限り、完成などありえないからである。
 若いときに書かれたと云われる「坐禅和讃」は、「衆生本来仏なり」で始まり、「この身即ち仏なり」と終わる。これはこれで初門の人々に大いなる勇気を与える言葉なのだが、なかにはこの言葉に安心しすぎて誓願や菩提心を忘れる人々がいたのだろう。晩年の禅師は特にそのような無為を説く禅僧たちを悪罵した。遠慮なく、地獄に堕ちるとも書いている。
 遙かに菩提を求め、誓願を保ちつつ、それでどうすればいいのか、というと、禅師は「動中の工夫」を最も重視した。坐禅による「静中の工夫」より百千億倍も効果的だというのである。
 そして禅師は、やがてそれら全てのことを説くに相応しい「観音さま」に出逢うことになる。
 どの宗派にも直接は属さず、しかも無限に変身するという観世音菩薩こそは、誓願もあり、菩提を求める菩薩であり、また人助けを遊戯のようになさる最高の行動派ではないか。
 禅師はそこで七十五歳のとき、『延命十句経霊験記(えんめいじっくきょうれいき)』を書く。天台宗の僧侶がまとめた『仏祖統記(ぶっそと)』という本から、四十二文字という短いお経を紹介し、ほとんど小説めいた奇瑞(きずい)や霊験を交えながら、多くの人々にお経の読誦(どくじゅ)と観音信仰を熱心に勧めるのである。
 このとき禅師は、もしかすると比叡山から分かれて下った日本仏教の各宗派を、観音さまによって再びまとめようとされたのではないか。念仏やお題目も否定せず、日本の神々も受容される。なにしろ観音さまは変幻自在だから、「やほよろづ」だってカヴァーできるではないか。
 もとより白隠さん自身、地獄の恐ろしさから天神さまへの信仰をもったという、極めて日本的な発心をした方だった。そのような体験をも包み込み、あらゆる日本的習俗をも包含して止揚するのが、禅師の勧める観音信仰ではなかっただろうか。
 禅師においては、発心し、菩提を求め、誓願を確かめるきっかけになるようなものは全て肯定される。「南無地獄大菩薩」という雄渾で鮮烈な墨跡の意味するとことは、そういうことだろう。そこにはおそらく、『維摩経(ゆいまきょう)』「不二(ふに)」の思想がある。このお経で文殊菩薩は、ヒマラヤの如き「我見(がけん)」でさえも、それゆえに菩提心を起こすのだから仏道と「不二」だし、六十二見と云われる外道(げどう)も、またあらゆる煩悩も仏になる種ではないかと励ましている。<『維摩経』第八章「仏道品(ぶつどうほん)」>当然、地獄も強く仏道を求めさせる要因であればこそ、仏道と「不二」なのである。
 禅師にとっては親孝行も商売繁盛も色恋さえも「不二」でまとまる。いや、神道だって儒教だって禅と「不二」なのである。
 おそらくは白隠さんのなかにもそのような「不二」が、どーんと富士山のように聳えていたのだろう。禅ではいつだって富士を「不二」と見る。そして「隻手の声」こそが、その「不二」への入り口なのだ。
 五十一年間棲んだ松陰寺の背後には、日本の霊峰が常に聳えていた。それは峻厳でありながら、無限に変化する流麗な美しさを具えていた。
 宝永四(一七○七)年、富士山の南東部が噴火し、多くの民衆が逃げまどうが、当時二十三歳だった白隠さんは本堂に坐したまま動かない。逃げてくださいと、いくら頼んでも逃げようとしなかった。
 きっと禅師は、そのとき富士と不二になった。白隠という道号は、諸説あるが私にはいわゆる snow-capped という富士山の形容としか思えない。富士になった禅師は、峻厳と呼びたい誓願や菩提心と、流麗な観音さまのごとき応化力を発揮しながら、八十四歳までひたすらに遊戯(ゆげ)しつづけたのである。今に残る多くの禅画は、無数の庶民に応じつづけた白隠観音の遊戯の跡だろう。
 「やほよろづ」を「不二」に見つめ、自ら観音さまになってしまった白隠禅師には、やはり合掌礼拝するしかない。

利他 自らの功徳により他者を救済すること。
『維摩経』 優れた在家信者・維摩が、弥勒や文殊菩薩らとの問答を通して得た境地から、すべては不二の法に帰することを説く大乗仏教の経典。
不二 「一見相反する二つのものが、実は一つのものであるという考え。我見事物に固執した考え。
外道 仏教以外の教え。とくに仏教以前の時代の主な説は六十二見にまとめられた。

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