私の通った高校にはありがたい制度があった。前期・後期の2期制で、前期に2回、後期には期末試験しかなかったから、年間3度の定期試験なのだが、最初の試験で100点をとれば、2度目は受けなくともその8割である80点がもらえた。そうすると前期の平均点は90点。そして後期の試験も受けないと、今度は前期平均の8割がいただけるから72点、だから前期後期を通じての平均点は81点になる。つまり、ここぞ、という最初のときに100点をとっておけば、その余録で一年が無事に過ごせる。大学受験に必要な科目の勉強に、そのぶん専念するようにというシステムだったのだろう。
こんなありがたい制度が、会社のなかにあるはずはない。
しかし案外社会に出てからも、人は「ここぞ」というときの働きぶりで評価されているのではないだろうか。
いつも努力しているのに報われないし評価されない、それなりの成果もあげているのに、わかってもらえない我が身の不運。そんなふうに自己認識している人は少なくないだろうと思う。 しかしこういう人に詳しく話を聴いてみると、どうも不運というより、「ここぞ」というときがわかっていないように思える。つまりそういう人は、常に80点程度でがんばっているのだが、人生には100点をとるしかない時がある、という認識に欠けているのだ。 たとえば、チームで一年も準備をして契約にこぎつけたその当日、いつもは静かで大人しい課長が、人が変わったように見事なプレゼンをした、などというのも「ここぞ」の100点だろう。 むろん家庭でも、そういう場面はある。疲れて会社から帰ってみると妻が打ち沈んでおり、聞けば中学生の息子が学校で万引きの仲間に誘われて罪を犯し、学校に呼びだされたという。そんなときは、たとえどんなに疲れていてもいい加減な対応は許されない。叱るにしてもどうするにしても、これまでの自分の人生を賭けるつもりで事に当たらなくてはならないだろう。80点はもちろん、98点でもダメなのである。
肝心かなめの「ここぞ」というとき、人は相手の誠意や情熱、ひいては人生への態度そのものを深く胸に刻み、永く記憶することになる。関係性が大きく作用するそのような場面以外では、じつは関心も他人ではなく、意外なほど自分に向いていることが多いのである。 だから逆に言えば、常に100点をめざす必要はない。そんなことをすると、余計なエネルギーを消費している分だけ不機嫌になり、人間関係にも軋轢が生じやすくなって破綻するのがオチではないだろうか。 ふだんは60点で、「いざ」となれば必ず100点。それが理想だろう。平均は80点ということになるが、いつも常に80点をとる人よりは評判もいいはずである。もともと平均など、机上の計算であり、人間の印象というのはたぶん平均では決まらない。むしろふだんの余裕と「いざ」というときの果敢さとの落差が、魅力に見えるはずである。
問題は、いつが「いざ」というときであり、どこが「ここぞ」かという見極めである。
禅の考え方からすれば、常に「いざ」「ここぞ」なのだと言うこともできる。しかしそれは、現実にはあまりにプレッシャーの多い考え方だろうと思う。
運動選手のように、「いざ、ここぞ」が前もってわかっていれば準備も万全に調えることができる。しかし企業にあっては、不慮の出来事が「いざ、ここぞ」になることだってあるだろう。その見極めは、結局自分でするしかない。「いざ、ここぞ」、「さて、どこぞ」と、ふだんから自問自答だけはつづけていてほしい。 |