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禅のいろは
 禅のいろは現在の子供たちは、小学校に入るとまず「あいうえお」を習う。昔はそれが「いろは」だったわけだが、「いろは四十七文字(いろは歌)」で平仮名を覚えた人々はすでに九十歳以上になってしまった。
 それでもかなり多くの人が、今も「いろはにほへと〜」を知っているのは、「いろはカルタ」のお陰が大きいようだ。『いろはカルタの文化史』(NHK生活人新書)を書かれた時田昌瑞(まさみず)氏が二○○二年に行なった調査でも、アンケートに答えた二二五六人のうち、七七%に当たる一七三八人が「いろはカルタ」で遊んだ経験があると答えている。
 カルタはもともと、ポルトガルから伝来した遊びである。それが江戸時代になって、平安時代から知られた「いろは歌」と合体するのだが、この取り合わせは極めて秀逸(しゆういつ)だったと云えるだろう。
 本来、「いろは歌」のテーマは、「死」だ。これは「夜叉説半偈(やしやせつはんげ)」という四言四句の「死」についての短いお経を、味わい深く翻訳したものである。しかもその際、同じ音を二度使わないという離れワザをやってのけたわけだが、いったい誰の作かは不明である。
 「夜叉説半偈」の前半、「諸行は無常なり 是れ生滅(しようめつ)の法なり」は「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ」とすんなり訳された。しかし後半の「生滅滅し已(おわ)って寂滅(じやくめつ)を楽と為(な)す」は些(いささか)か理解しにくいため、ある種のレトリックで表現される。つまりここでは変化がなくなった状態を楽しみにする、死者自身にとっての死が描かれるわけだが、訳者はそこに『老子』の「無為」と「有為(うい)」の対照を持ち込む。人生を「有為の奥山」に登るようなものと準(なぞら)え、死によって無為自然に還(かえ)った状況から、死者自身によって浮世を振り返らせるのである。
 「有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」
 つまり死んで有為なる世界を越えてしまえば、これまでの浮世が浅い夢にも思われ、また酔いのさなかだったようにも感じる。だから死者自身が、これからは浅い夢など見るまい、酔っぱらいもしないぞと、宣言しているのである。
 先ほど秀逸な取り合わせだと申し上げたが、このような重厚な意味をもった歌が、パタパタと絵札を取り合うカルタになってしまったことが、なんとも痛快な気がする。しかもカルタは主に正月、晴れ着などを着て行なったりする。正月早々、我々は「死」の学習をしてきたのだろうか。
 いや、実際はそれほど深刻な思惑じゃないだろう。「いろは歌」もそうだが、なによりカルタには誰もが暗記しているような言葉が必要だったのであり、またカルタによって更にそれが促(うなが)される。まずは暗記してからしみじみとその響きや意味を味わうのが口承(こうしよう)文化だが、「いろは歌」もカルタの諺(ことわざ)も、そうした口承文化の典型と云えるだろう。
 「犬も歩けば棒に当たる」「論より証拠」「花より団子」。誰もが、「ああ、あれか」と憶(おも)いだすに違いない。
 しかしあなたはその意味を、これまでしみじみと味わったことがあるだろうか。
 「いろは歌」に込められた死の情景だけでなく、我々の祖先は「いろはカルタ」に使われた諺(ことわざ)の心をも、意外に深く肌身に染み込ませていたのではないかと、私は想う。
 芥川龍之介は『侏儒(しゆじゆ)の言葉』のなかで「我我の生活に欠くべからざる思想は或は〈いろは短歌(=カルタのこと)〉に尽きているかもしれない」と述べ、また永井荷風は「冷笑」という作品の登場人物に「以呂波骨牌(いろはかるた)の文句は皆な哲学だらうよ」と言わせている。
 なにも私は、ここで思想とか哲学とか、大袈裟(おおげさ)なことを述べようというわけじゃない。ただ最近になって、犬が歩いたらどうして棒に当たるのか、それも知らない自分が日本人として恥ずかしいような気がしてきたのである。思い返せばうちで飼っていた柴犬系雑種のナムも、十七年の生涯でたぶん一度も棒には当たらなかったと思う。
 「『いろは』と禅」と銘打ってはみたが、「いろはカルタ」に込められ、またそこから滲(し)み出て幼心を染め上げ、日本人の「常識」さえ形成してきた心と、私はここで向き合ってみたい。ひいてはそれが、「禅の『いろは』」になれば、と願うのだが、はてさて「骨折り損のくたびれ儲(もう)け」になるか、それとも「禅」という「芸は身を助ける」ことになるか、ともあれ「旅は道連れ」でおつきあいいただきたい。
 「いろはカルタ」としては上方系と云われるほうが発生は早いが、ここではより人口に膾炙(かいしや)した江戸系を扱うことにした。上方系の最初は「一寸先は闇(やみ)」。今の私もまさにそんな心境ではあるが、ともかく「犬も歩けば棒に当たる」つもりで歩き始めよう。あれ? そうだとすれば、棒は良いモノ?
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いろはカルタの文化史
いろはカルタの文化史(生活人新書129)

NHK生活人新書/NHK出版 時田 昌瑞著

第1部 いろはカルタの句とその思想
第2部 大人の文化としてのいろはカルタ
第3部 いろはカルタの全国アンケート

いろはカルタの変遷やカルタの魅力を紹詳細に紹介している。
江戸系・上方系のいろはカルタのことわざ四八句の解説付。
希少図版多数。

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