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『養老先生と遊ぶ』(養老孟司まるごと一冊)新潮ムック 3月29日 新潮社
養老先生ってどんな人? 編集部からの質問コーナーへの寄稿文。私はこう見る(2)

<風を養う>
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 昨年対談させていただいた内容が、一月に『脳と魂』として筑摩書房から刊行された。二度お会いしたなかで、僭越ながら養老先生に戒名をつけさせていただいたのだが、左下の色紙に書いた「養風」は、その戒名に用いた字面である。(サイト上では左横に掲載)
 むろん先生が、虫獲りがお好きなことも「養風」には込めた。もっと云えば、あれだけ大脳をフル回転させる先生が、かなり意識的に体や自然を重視されている事実を盛り込みたかったのである。
 先生は対談のなかでも、「世の中のニーズ」を「理解してるっていう意味じゃなくて、肌でわかって」いたと仰る。つまり、これは風を感じるような、「勘」ということだ。たしかに先生は勘がいい。
 しかも勘で現状を感じとるだけじゃなく、先生はご自分がなんとか世の中を、望ましい方向へいくらかでも動かしたいと念じていらっしゃる。そのやり方が、おそらく「養風」なのである。
 もともと道教の修養法でもある「養風」は、理屈ではできない。しかも人は、結局理屈に従いてくるわけではなく、風に従うのだろう。
 風に乗って養老先生が広まり、その風をまた先生は養い育て、そしてそれがまた風で広まっていく。つまり先生は、風を養いながら風と遊んでいる。それが今のブームなのだと思う。
 この風は、どんどん広まってほしい。先生には、呂洞賓(ろうどうひん)のように風を自在に操り、お名前どおり養老の仙人になるまで風を送りつづけていただきたい。

「週刊新潮」新潮社 3月24日 3月31日号
tempo

kokoro

 フランスの小咄に、男と女とどちらが心が綺麗か、というのがある。答えは女。だって、いつでも心変わりしているから、というのが落ちだ。
 しかし、この咄、仏教徒としてはかなり微妙である。なぜなら、誰もがしょっちゅう心変わりしていると考えるのが仏教だし、一つの心が宿る時間まで「刹那」と決めているからだ。一刹那はおよそ七十五分の一秒、つまり人の心は一秒に七十五回までも変わり得るというのだ。
 あまりに変わりすぎても人格は保てないし、逆に変わらなすぎると根にもったり鬱になったりする。
 本来変わり続ける心を、一定に保つことは人間独自の能力でもある。しかし現代人は、おそらく変わっていい心を変えないで悩みつづけ、苦しみを増幅させているのだろう。
 腹が立ったり悔やんだりすることが起こると、私は逆立ちをして心を変える。逆立ちほど心を速やかにニュートラルに戻す技術はなかろうと思う。こだわる脳のもっと奥の古い脳が目覚め、生命体としての元気が蘇る気がするのである。人前で、逆立ちできないときは眼を閉じてからだのどこかを動かし、その内部感覚に意識を集中する。それでも同じ効果がある。
 男か女かはともかく、心変わりをするほど心が綺麗になるのは確かだと思う。

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