国家はある種のピラミッド型の組織です。宗教も、曹洞宗や浄土真宗など、普通は国家と同じようにピラミッド型の総本山制で、総本山が指令を出すとみなが動くような組織がつくられています。けれど臨済宗には総本山がありません。詳しくいいますと、対等の本山が十四もあって、いわば台形のかたちをしているのです。それを統(す)べている組織はありません。ですから、なにかことが起こったとき、その宗派全部に共通する結論を出しにくい、つまりアイデンティティファイされない構造をもっています。それぞれのお山の家風を認めますから、それによる安らかさがある。臓器移植の問題にしても「いろいろな考えがありますから」と、宗派としての結論にはなりません。即断即決が絶対にできないシステムで、実は、私はそちらのほうが好きなんです。
しかし国家はどうしてもピラッミッド型を目指します。自立という意味でもそうですが、ピラミッド型の組織は、一つの正義を目指したがります。正義を目指すという習い性がある。それは宗教の組織から政治が学んだことかもしれません。
カソリックというキリスト教の中での「正統」が、ローマ帝国によって四世紀に決められました。日本人にはカソリックという正統がどんなものか想像しにくいと思います。日本の仏教には多くの宗派があっても、正統はありません。日本で国教が定められたのは、明治時代の神道だけです。仏教では、江戸時代に浄土宗が贔屓されたり、室町時代に時宗と臨済宗が贔屓されたりという「えこひいき」はありましたけれど、「これが正統だ」と定められたことはありません。
ところがキリスト教社会では、宗教観が日本とまったく違います。キリスト教でいう「正統」とは、他をまったく認めないものです。四世紀にコンスタンティヌス帝がローマ帝国の国教としてキリスト教を定めたころ、成立して何百年か経っていたキリスト教では、聖書の解釈を含めて真剣に考えた人が多く出ていました。日本仏教でいう日蓮さんや空海さんのように、いろいろな宗派があったのです。しかし、カソリックという「正統」をつくったことにより、それらすべて「異端」にされたのです。
いくつかの宗派のうち、一つを正統にし、他を残すといったやり方ではありません。日本に当てはめると、まるで「仏教」という曖昧な新宗教をつくったようなもので、それ以外の既成の宗派を一切認めなかったのです。
カソリックはやがてプラトンの哲学を応用し、「三位一体説」をとったりして内容が充実していきます。その過程で、国家原理と並行してピラミッド構造をつくっていく。そして宗教が「裁きのシステム」として非常に有効になっていくのです。
カソリックに初めて触れた代表的な日本人は織田信長です。彼は天下統一をしようとした最初の日本人でもある。この事実は、キリスト教が彼になんらかの影響を与えていると想像できます。もしかしたら、信長はピラミッド型の権力構造を、キリスト教から学んだのではないでしょうか。
そして信長がいちばん苦労した相手が一向一揆で、実は一向一揆というのも構造は同じものです。浄土真宗の阿弥陀様と、キリスト教でいう神を比較するのは申し訳ないけれども、「ただひたすらに」というところに似ている面があります。そして、「いざ、戦う」というときには両方とも強い。
今回ブッシュ大統領は「イスラム教徒全体を敵としているわけではない」と言っていますが、果たして、その構図がいつまで保てるのでしょうか? 実際問題として無理だと思います。
イスラムといえば俗に「右手にコーラン、左手に剣」と言われるほど、戦いを辞さない宗教です。しかし、コーランを読んでみると「アラーの神を汚す者をこらしめてやろうと思ったときどうすべきか?」という問い掛けがあり、その答えに「やむをえない場合はやられた程度にしておけ、だけど我慢できるなら我慢するのがいちばんだ」と書いてあるんです。
彼らが我慢の限界を超えたのでしょう。その背景を日本はわかっていない。パレスティナ問題に関しても、ほとんど情報として得にくいのが現状です。
アメリカを擁護する人は、「テロリズムこそが敵であり、撲滅すべきだ」と言います。しかしテロリズムというのは、だれの心にも起こる可能性のある心の状態なんです。いま盛んに行われている報復は、世界中にテロの種を蒔きつける行為ともいえます。テロリズムを根絶するということは、人類全員を根絶するのと同じことでしょう。どんなに優しく、心の清らかな人でも、心の中にテロリズムが生じる可能性があるわけですから。
問題は、自分が正義の場所にいるという意識でしょう。正義、正統というものが、どれだけのものか。小泉首相がAPECで上海に行ったとき、ブッシュ大統領に流鏑馬の矢を送り、その箱書きに「天長地久」という『老子』の第七章にある言葉を書きました。その解説として「邪悪を退治して恒久平和を実現する」とおっしゃっているのですが、「天長地久のために邪悪を退治する」だなんて、老子は絶対に書いていません。そもそも老子は、正義を疑ってかかっている人です。
『老子』の第五十八章に、
とあります。正義などない。正義と思っていたものもいつしか奇妙になり、善だと思っていたものが妖しいものと化す、ということです、平安時代の正義と現代とでは違うし、同じ時代だって所変われば違う。その正義を振りかざすことで戦争は起こるのです。だからこそ正義というものをとことん疑うことを老子は説いているのです。その老子の言葉をとって箱書きするだなんて……。
正義ではないけれど、グローバルスタンダードという基準が提案されています。これは、世界を一つのピラミッドにしようという考えです。しかし、イスラムのスタンダードと、米欧、アジア、アフリカのスタンダードは違います。少なくとも四つのスタンダードがないといけません。四つのスタンダードを認めると、それは「台形」になるんです。