03
「読売新聞」夕刊 5月17日号
shi_nani

人間列島 〜福島〜

解 説/菅野 良司(敬称略)


三春町の古刹、福聚寺に生まれた玄侑宗久は小学生のころ、「死とは何だろう」と思い悩んでいた。環境ゆえの早熟だったのか。思い返せばそれは、「生きることの根源的不安といってもいい」誰に聞いても、子どもに理解できる言葉で返答をもらった記憶がない。
 その問いを心の奥底に抱えながら青春期を送った。新興宗教に興味を持ったり、土木作業員、英語教材のセールス、ナイトクラブのフロアマネジャー、ごみ焼却所の作業員など十二の職業を経た。「何でも体験したかった。学生アルバイトではなく、みな本職のつもりだった」彷徨は、父との約束だった二十七歳で区切りをつけ、仏門に戻った。ペンをとったのは、問いの答えを自分なりに出そうとしたからかもしれない。副住職の傍ら、芥川賞作家としての執筆と講演依頼が立て込む今、「自分の答えを、うまく小学生に伝えられるか疑問ですね」と苦笑する。
 宗教と社会を語るその言葉には、遍歴をたどった者こそが持つ説得力がある。「求め出したらきりがない幸福ではなく、一人ひとりが現在を受け入れ、『楽』になってほしいですね」という柔らかさもある。
COPYRIGHT THE YOMIURI SHIMBUN.

03 「教育新聞」教育新聞社 5月15日号
kodomo

『ことばの花束―金子みすゞのこころ』


小さきもの包み込む大きな愛

私が両手を広げても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面を速くは走れない。
 私がからだをゆすっても、
 きれいな音ではないけど、
 あの鳴る鈴は私のように
 たくさんな唄は知らないよ。
 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい
 (私と小鳥と鈴と)

 1930年に死去し、それから半世紀が経った84年に遺作が全集として出版されるや、多くの人を虜にし、今では小学校の教科書にも収載されている金子みすゞの詩は、小さきものへの温かいまなざしと鋭い感性で、魅了される人が後を絶たない。

 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮の
 大漁だ。
 浜は祭りの
 ようだけど
 海の中では
 何万の
 鰮のとむらい
 するだろう。
 (大漁)

 誰にも言わずおきましょう。
 朝のお庭のすみっこで、
 花がほろりと泣いたこと。
 もしも噂がひろがって
 蜂のお耳はいったら
 わるいことでもしたように
 蜜をかえしに行くでしょう。
 (露)

misuzu はっとさせられる詩が多い金子みすゞコスモスのファンは多いだろうが、改めてその魅力について語るとなると、とまどってしまう人が多いのではないだろうか。その難しさにチャレンジしたのが、『ことばの花束―金子みすゞのこころ』(佼成出版社刊)である。
 語り手は、金子みすゞを世に送り出した先崎節夫、漫画家の里中満智子、タレントの片岡鶴太郎、そして僧侶で芥川賞受賞作家の玄侑宗久、僧侶の荒了寛、酒井大岳の六氏で、自分の好きな作品を紹介しつつ、そこから自らの視点と思いを提起している。
 中でも仏教と文学の二つの世界に生きている玄侑宗久さんは、金子みすゞの世界は「華厳の世界」であるという。華厳とは、あらゆるものは等価の生命としての「華」によって彩られているという見方であり、彼女は草や虫などの生き物はもちろん、小石や風など、無生物にまでも「華」を見ていたとする。
 「目に見えないものは、幼い子供は見ることができるが、その能力を捨てて成長させようというのが今の教育。よほど、感性をとぎすませていなければ、こうした見方、感じ方はできない」とし、
 「彼女は本もかなり読み込んでいたようで、多くの知識を持ち、深い思想を持っていたと思うが、それをやさしい言葉で簡潔に表現しているところがすごい」と仰る。
 「みんなちがってみんないい、はまだしも、みんなを好きになりたいなんて実際にはかなりしんどいことだと思う。それを過酷ともいえる自らの人生の中でやろうとした意思は菩薩のよう」とも。
 本書には、金子みすゞコスモスについて、六者の視点が示されているが、「六つの色めがねを通して、自分のめがねの色を確認したり、違う色に気づけば、それでいいのでは」とし、いろいろの視点から、楽しんでいるうちに自然に眼が深まっていくことが、本書の意義であるとしている。
教育新聞社

yoritsuki oshrase profile yotei shinkan ichiran intervew taidan yukisetsu essey 前に戻る
syohyo sonota audio kobai voice kobai annai contact b2
copy