
アミターユス(無量寿)という呼び方もありますが、「無量の光」という意味のサンスクリット語で、阿弥陀仏のことです。衆生救済の願を立てた修行僧が成仏し、西方の極楽浄土で阿弥陀仏となって、ひたすら人々の救済のために働かれているという、大乗仏教の浄土教の中心的な仏さまです。浄土教では、自力で成仏できない人も、念仏を唱えると、阿弥陀仏の救済力で極楽に往生できると説かれています。そこから、人は死後、浄土という光に包まれた世界に行くというイメージが生まれてきました。
死後のビジョンとして阿弥陀仏を超えるものはないと思います。ですから、浄土教だけでなく、仏教各宗派にも結構利用されています。禅宗の葬式でも、阿弥陀仏に登場していただかないと収まりません。
仏教だけでなくキリスト教も、例えばネストウス派は阿弥陀信仰の影響を受けています。異端とされたキリスト教の中に神の上に光を置いたものがあります。あらゆる存在を系統樹にした絵があるのですが、神はすべての光を受けていて、犬や猫になると受ける光が少なくなる。神の上に何かを置くのですから、異端とされても仕方がない。あれは明らかに阿弥陀信仰の影響です。
ところが今や、阿弥陀仏という存在がキャラクター化して、マスコットのようになっています。阿弥陀仏はある働きの象徴であったり、その働きを実感的に理解される状態に戻してあげないといけない。『アミターバ』はそういうつもりで書きました。先日、浄土真宗の和尚さんから「読んで感銘を受けた、門徒にも話したい」というメールが来ました。