私たちの思考は、「因果律」に支配されています。
結果には原因があるのだから、原因を変えれば結果は変わる。「こうなりたければ、こうしよう。こうなりたくなければ、こうしないでおこう」という考えです。
これは、ものごとをコントロールしようとしているわけです。
このコントロールしようとするありようが、苦を生んでいるのです。苦しみから逃れるために、原因探しに躍起になることによって、かえって苦が深まるということがあるのです。
原因というものは無数にあって、どれかに特定できるわけがありません。この世界は無数の縁のからまりによってできているからです。無数の関係性の中で、うねるように変化しているからです。
私たちは、ありのままに世界をみることはできません。自分が探し求めているものだけを、見たり聞いたりしているのです。
一つひとつの出来事それ自体には、本来、意味はない。いいも悪いもないのです。
晴れであっても雨であっても、そのこと自体には意味はありません。
いいとか悪いという意味づけをするのは、自分自身なのです。
一つの出来事に対して、「嫌だなあ」と思った瞬間から、感覚器官がその方向に動きます。すると嫌なことが重なるようになります。嫌なことの起きた原因を探そうとすると、嫌なものをさらに呼び込んでいきます。
逆に、「これはいいことだ」と思うと、いいことの原因を探しだす。すると、いいことが重なっていくということがあります。
自分自身の思い込みによって、世界が変わっていくわけです。
たとえばガンになったとします。
そのこと自体、本来、いいとか悪いという意味はないのです。
けれども、私たちは「最悪のことになった……」と思うでしょう。
するとそう思い込むことによって、さらに最悪なことを探しだす。
それが苦しみを作っていくのです。
物事は、それ自体、いいも悪いもない。風邪をひいた、それ自体に意味はないのです。
何事もそう思えると、悪いことが連鎖的に起こるのは防げます。
苦しみというものは、外から来るものではありません。苦しみをつくっているのは、自分自身です。
何が起きても、それ自体、いいも悪いもない。一つひとつの出来事に対して、いい悪いという判断をやめる

それが楽な心をつくるのです。