ここ数年、僧侶としてだけでなく、作家としても名前が知られるようになったせいか、さまざまな人から悩みを相談されることが少なくありません。そして、多くの悩み事を見聞きしているうちに、何やら共通の問題点があるような気がしてきました。
では、悩みの原因はどんなところにあるのでしょうか。まず、人間そのものがどういう生き物かということから考えてみます。これについては、先日、養老孟司(ようろうたけし)先生と対談をしたときに、印象に残っている話があります。あるとき先生が、職業安定所の垂れ幕に「あなたに合った仕事が見つかるかもしれない」と書いてあるのを見て、「ふざけるんじゃない。仕事はおまえのためにあるのではない。世の中がうまく動いていくためにあるんだから、おまえが仕事に合わせろ」と怒ったと言うのです。私もそう思います。「それでは仕事に私の個性が活かされない」と反論されてしまいそうですが、そもそも個性とは何でしょう。
この個性という考え方は西洋から入ってきたものです。キリスト教では人間を「神に似せてつくられたもの」としていて、神学ではそれを「ペルソナ」と呼んでいます。それがパーソナリティ(個性)の語源です。つまり西洋では、人間はしっかりとした個性をもっているものと認識されているんです。
でも、東洋では「自分」という言葉に象徴されるように、人間を「自然の分身」ととらえています。この自然というのは、コントロール不能なものです。ですからその自然の一部ということは、私たちは確固とした存在ではなく、揺れている存在だということです。揺れるとは、変化することですね。
この「人は変わる」という考え方があるからこそ、教育や修行をする意味があるんだと思います。もっと言うならば、たとえ悪いことをしてしまったとしても、更生することができるということです。