「読売新聞」
9月5日 朝刊 文化面
(19)【文 化】12版 2006年(平成18年)9月5日(火曜日)読売新聞
禅宗の僧侶である作家、玄侑宗久氏(50)の著作が相次いでいる。最近1年間の新刊は12冊。なかでも『お坊さんだって悩んでる』(文春新書)、『慈悲をめぐる心象スケッチ』(講談社)には、この時代の現実と宗教、文学をつなぐ、果敢な考察が見つかる。(尾崎真理子)
全国各地、各宗派の寺の住職から寄せられた難問に応じた問答集が、『お坊さんだって悩んでる』。
「戦争には反対だが、イラクに派遣される自衛隊員には何と言って送り出せばよいか」「死刑には反対だが、オウム真理教の麻原教祖を生かしておくのはどうなのか……」
靖国神社の首相参拝から、ペットの埋葬、天災や事故に際してのお守りの効力、寺の後継者問題まで。仏教雑誌に連載中から反響を呼び。7月に刊行後はたちまち版を重ねている。
「宗教に基づく答えは、国家の法や権力、世間とも重ならず、距離があるからこそ価値も魅力もある。私は禅宗(臨済宗)の僧侶なので、反骨的な発言もかなり許容されるのでしょう」と玄侑氏。僧侶は「渾然(こんぜん)とした生の専門家」であり、死者との別離にあたって「成仏という、物語としての“納得”の提供者」だと自覚する。
「とりわけ禅語は、論語からも詩人の言葉からも自在に引用して、禅の気持ちを伝える道具にしてしまいます」。しかし禅宗ほど、言葉に期待しない宗派もないという。「言葉から成る概念を一度全体性の海に脱落させ、そこからもう一度身心を現成していく。それが生きる意味だととらえたのが道元禅師の『正法眼蔵』だと思う。書くという執念をそこに見ますね」
一方、<宗教と文学とを分かちがたく感じる自分の感性の底には、もしかすると賢治がいるのかもしれないと、ある日気づいた>。そこから書き起こされたのが、宮沢賢治の生涯と作品に独自の解釈を深め、広げた論考集『慈悲をめぐる心象スケッチ』。
賢治はなぜ、法華経の信仰に生涯をささげたのか。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と考えたのか。「怒り」という修羅に苦しんだ仏教者として賢治をとらえ、「慈悲」を探究した全10章は、賢治論にあらたな視点を与えるだろう。
福島県三春町の福聚寺副住職として、日常は多忙を極める。8月は新盆を迎えた檀家(だんか)をめぐった。寺はむろん年中無休。何かを乞(こ)いに訪れる人も拒まない。合間にパソコンで原稿を書き、ホームページを更新し、脳科学や認知心理学の本も読む。
「でもお経を唱え、坐(ざ)禅を組むのは生命力の充電。書くことの方が消費です」
6日刊行の『現代語訳 般若心経』(ちくま新書)で仏教関連の執筆はひとまず小休止し、創作に向かう。
「歴史、因果、あらゆる概念から自由な時間を小説で描ければ……」。作家として、仏教者として、本望であるという。
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