必然性のない葬儀への希望は、
死に際のワガママだと思うんです


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 そうはいっても個性化の時代ですから、最近は個性的な葬送をしたいという人も増えています。臨済宗の僧侶である私に「無宗教でお葬式をやりたい」と依頼された方もあります。

 埋葬方法に関しても、先祖代々のお墓があるのに散骨したいと希望する人がいます。例えば、船乗りだった人が海に葬ってほしい、登山家が山に骨を撒きたいというのはわかる。しかし、そうした必然を感じない希望も多いですね。あるとき、「自分はカラコルム山脈のどこかに埋葬されたい」とおっしゃった人がいて、私は「忘れられない思い出でもあるんですか。何度ぐらいそこに行かれたのですか」と訊ねたんです。するとその人は、「一度も行ったことはないけれど、写真で見てきれいだったから」と話されたのです。私は言葉を失ってしまいました。自分の人生にまったく関係のない葬送を、あこがれだけで希望するというのは「死に際のワガママ」というものでしょう。
  「葬式不要」という遺言も、ワガママ。それが自分らしいと思っても、遺族にとっては大迷惑です。通知をしなかったために、弔問客がバラバラと自宅を訪ねてきて困ったという話はよく聞きます。あまり親しくない人に連絡をするのは迷惑と考える向きもあるようですが、お葬式をあげるのは、故人の死を公にすることなのですから、できるだけ広範囲に知らせた方がいい。参列する、しないは個人の自由なんです。


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 葬儀の主役は故人だと言いました。しかし、執り行うのは遺族です。葬式不要、身内だけの式がいい、立派な式がいいなど、希望はあるでしょうが、残された遺族の社会的な立場や財力など、いろいろな事がかかわってくるのがお葬式。子供たちに「あなたのやりたいように、やれるようにやってくれればいいよ。ただ、お願いしたいのは……くらい」と、できる範囲の希望を伝えておく程度がいいのではないかと私は考えているのですが、いかがでしょうか。


お坊さんと仲よくなると
あなたらしいお葬式も見えてくるのかもしれません


毎日が発見
 さまざまな葬送方法が考えられるようになり、確かに今、お葬式の在り方は大きな変わり目にきていると思います。でもまず、「あなたらしいお葬式」を考えるなら、お坊さんと仲よくなってみるのが近道だと思うのです。キリスト教で結婚式を挙げる人は教会に通って洗礼を受けますが、まぁ、あんな感じです。お寺は敷居が高いと思っている人もいるでしょうか、決してそんなことはありません。菩提寺が遠くにあるなら、住居の近くで、同じ宗派のお寺を紹介してもらうこともできます。

 うちの檀家さんの中には、「戒名を自分で作ったんだけど、法則があるだろうから見てもらえますか」と持ってくる人もいますし、「戒名にこの字を入れてほしい」と希望する人も多くいます。ふだんからそういうつきあいをしていれば、僧侶自身も、その人らしいお葬式を考えることができる。遺族が僧侶に気軽に相談でき、葬儀社も一緒になって考えられるお葬式ができれば、いちばんいいのではないでしょうか。

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