初出:「助六」(SUKEROKU)NAVI11月号増刊 AUTUMN
二玄社
9月28日
◎第二特集 禅的生活のススメ これって和のデトックス?
文◎田代 格 写真◎中河原 理央
作家であり、臨済宗妙心寺派の僧侶でもある玄侑宗久氏。氏に坐禅とはいかなるものかを伺った。するとその心は、感覚しても知覚しない、“三味(さんまい)”にこそ意味があるのだと答えられた。
「坐禅をやるならば、きちんと禅寺に行って指導を受けたほうが良いです。自分の姿勢って、自分ではなかなか気付けないですから」。自宅でできる坐禅について玄侑氏に伺ったところ、返ってきた答がこれだった。「本などを見て、自分で坐禅を組んでみる人も多いようですけど、熟練者にはやっぱりひと目でわかります。どこがどうおかしいかって。それは自分で考えてもわからない。一度、変なクセがついてしまうと直すのも難儀です」。ならば、坐禅を組むという行為は常日頃、修行に励んでいない我々とは異なる世界にあるものなのだろうか。
「般若心経の中に、色・受・想・行・識からなる五蘊(ごうん)という考え方があるんです。“色”は物質的なモノのこと。“受”は感受すること、感覚ですね。感受したことを心に想うのが“想”。これが知覚です。知覚しなければ、意志を示す“行”や、認識にあたる“識”にまで及ばない。坐禅って、実は自分の頭の中を“受”から先に進ませない状態にすることを指すんです。感受するのはいいんですけど、それについて何らの判断も加えない。聞こえたら聞こえたまま、見えたら見えたままというところに自分を置いておく。それが坐禅状態というわけですね。私は“うすらぼんやり”って言葉で表現したりしてますが、脳の前頭前野にある“私”という自己に、簡単に言ってしまえば、おとなしくしてもらおうっていうのが坐禅。そいつが働かないような状態に頭の中を持っていこうということなんです」
イメージ呼吸
の
ポイント
「三昧」の境地を体感する「イメージ呼吸」。ポイントは流動する映像をしっかりと頭の中に描くことにある。
考えるのではなく感じながら
。生まれ変わる自分がそこにいる。
〔一〕
肩に力が入らない姿勢を作ることが大切。これは坐禅の際の基本的な手の組み方だが、玄侑さんは力を入れても肩が固まらないよう、小指と小指をからめ、軽く握って、坐禅を組むことが多いのだという。
〔二〕
「自分の身体を大きなひとつの器と見なすんです。そうすれば呼吸の際に、息を込める中心点もイメージしやすいでしょう」。腰は下に落ち込まないようにグッと立てて呼吸する。
〔三〕
吸った息を溜めるのは臍下三寸のところ。オヘソから3寸(約10センチ)ほど下にある一点だ。皮膚の表面ではなく身体の中心部をイメージして、入ってきた息をグッとそこに込める。
〔四〕
「身体が接触して体重がかかっている部分に意識を持っていけば、どんな姿勢でも疲れないんです」。と玄侑さん。座っていても、ソファに横になっていても、そうすれば同じように疲れない。
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