|
第125回芥川賞を受賞した『中陰の花』や『アブラクサスの祭』などで知られる作家の玄侑宗久さんは、同時に福島県三春町にある臨済宗妙心寺派福聚寺の副住職でもある。だが、初めから生家である福聚寺を継ごうと考えていたわけではなかった。
「寺を継ぐよりは、物書きになりたかったんです。父とは『27歳までは好きにさせてくれ』という約束を結んで、学生時代からいろいろな仕事をして、働きながら小説を書いていました。ナイトクラブの従業員やゴミ焼却場の作業員、英語教材のセールスマンなど、何でもやりましたよ」
約束の期限でもあった27歳のとき、何度も手直しを重ねていた作品がいよいよ雑誌に掲載されることが決定した。しかし…何と、掲載直前にその出版社が倒産するという"非運"に見舞われてしまう。
「父との約束の期限直前におこったこの出来事には、何ともいえないご縁を感じましたね。『これは、あらがいようのない流れなのかもしれない』と。それで、僧侶としての修行に入ることを決心したんです」
京都での修行を終えて福聚寺に戻ったのは31歳のとき。それから10年間は、寺の仕事に専念したという。
「でもあるとき、特にキッカケがあったわけではないんですが、無性に書きたくなったんです。それからは編集者も呆れるくらいのペースで書き続けました。半年で、原稿用紙1000枚は書いたと思います。もちろん、寺の仕事もやりながらですよ(笑)」
|