いわば、邪気というものも「出来事」なんです。

たとえば自分の内臓のことを考えてみてください。最後に自分の膵臓(すいぞう)のことを考えたのはいつでしょうか、肝臓はどうですか。心臓は……。
それらの内臓は、休むことなく一生懸命働いているのに、社長からまったく顧みられない社員のようなものです。まったく一瞥(いちべつ)もされず評価も感謝もされないということになれば、やがて不平不満がたまり気がよどんできます。内気が滞って、病気という現象を引き起こすわけです。だから、社長が社員を温かく見守るように全身に温かいまなざしを向けることが必要なのです。見つめてあげるだけで気は動きだします。
瞑想によって、意識を呼吸とともに全身に振りむけてやると、細胞に気が流れます。すると、血流が流れ新鮮な酸素が届くのです。それによって、臓器が元気になるわけです。
邪気とか鬼というのは、いわば自分の中の異物なんですね。その自分の中の異物をも、否定しない、やっつけるのではなく、自分の一部として、温かく包み込んでしまう。結局はそれが、慈悲ということです。