雪に「冷しかりけり」といって応じている、身をまかせているわけです。
薫風だけではなく、本当は寒風にも木枯らしにも熱風にも、仏さまはいらっしゃいます。しかしそれじゃあ難しすぎますよね。だからここでは、有り難さを感じやすい「涼しい風」が歌われたんです。
でもこの「涼やか」という境地は、とても難しいですよ。
涼やかであろうと目指したら、もう涼やかじゃないんです。目指したとたんに離れてしまう。
「こうありたい」というような希望や願いがなくなった状態こそが、涼やかなんです。
禅では「無事」といいますが、その意味は自分の外に何も求めることのなくなった状態です。何かを目指してないんです。
自然というものは、私たちに都合よく展開してくれるかどうかはわからない。
私一人だけの都合に合わせて自然現象が起こるわけじゃない。台風にやられることもあるし、地震で被害に遭うこともあるでしょう。
それが、はからいのない自然の営みですね。だから私たちは、それとうまく融け合っていくしかないんです。
私たちは、目標を次々に設定して、それが叶ったときにこそ幸せだと思っています。
けれども、願いなきこと――これが、最高の幸せではないかと思います。
何か目標をもっていると、人は熱くなるんです。「ねばならない」ということが多いと、蒸し暑いし風とおしがよくない。
頭が何色かに染まっていると、ものがちゃんと見えてこない。目標に向かって燃えていると、極端に自分の都合によってものを見ているので、いい出会いのご縁をいただけないんです。
願いをもたず、いつもニュートラルな状態であれば、どんな出会いともちゃんと向き合うことができ、そこから何かが生まれていきます。
ある意味で「願い」というのは、頭で考える人為的な思惑なんですよ。
「願い」をもつと、「こうでなければいけない」と考えたものを抱えることにあるわけです。
そうするとさっと応じられない。自然現象がくれるいろんなチャンスを逸してしまう。
荷物を大切に抱え込んでいたとき、上から柿の実が落ちてきたとするじゃないですか。荷物を抱えているから、パッパッと掴(つか)めないし避けられない。ぼこぼこにぶつかってしまう。後生大事に抱えているものが、対応力をいちじるしく落としてしまうんですよね。
そもそも、自分の思惑なんてたいしたことはない。思惑どおりにしか物事が運ばないということほど、面白くないものはない。
人生は、思惑を超えたことが起こるから面白いんです。そこから、思わぬご縁がいただけるのです。
だから、風のほうに合わせればいい。「風まかせ」「のらりくらり」が素晴らしい。
そうすれば、思わぬ突風や逆風がやってきても、それもすべて薫風と受け取ることができるはずですよ。