[コメント]
シンポジウムというスタイルは何度か経験があるけれど、今回のは面白かった。お寺としては、散骨に諸手をあげて賛成するわけにはいかない。そのことも承知で、きっと私はよばれたのだろう。先輩作家の村田喜代子さんが面白い喩え方をした。「我々全員がいま、わからない『死』の水際に佇んでいるようなものだ」と。中沢さんも柏木さんも安田さんも、それぞれの立場からいろんなものをその湖に投げ込んだ。その波紋が干渉しながら広がっていった。コーディネイターの山折先生もその波紋の干渉をじっくり眺めながら、ご自分でも石を投げ込んだ。「私は最後、絶食して死にたい」と、最後に仰ったのである。波紋は聴衆の皆さんの脳内にも及んだことだろう。
まとめは、ない。まとめようもない。まとめるのは、聴衆のお一人お一人。しかも時間をかけてすることなのだろう。散骨も自然葬も、都市部における過渡期の現象だと、私は考えている。都市は今後、「私の埋葬」ではなく「みんなの埋葬」を、真剣に考えていかなくてはならないだろう。それは同時に、「自然」についての思考を深めることにもなるはずである。あれ? 思考はすでに自然じゃない? しかしこの際はそうも言ってられない。 |