書評『水の舳先』

「ミセス」文化出版局 2005年12月号 11月7日
水の舳先
千住博氏との対談、<特別対談>「絵画の時間 坐禅の時間」の中で紹介されました。


玄侑宗久さんの、今年文庫化された小説デビュー作。カバー装画は千住博さんの滝の絵。重病患者が集まる温泉施設で、書道教室を開き、彼らの相談相手になっている僧・玄山に、末期癌のクリスチャン久美子が告白した罪とは……。さまざまな宗教観に立つ人々の、病と死と末期の救いを描いて芥川賞候補となった話題の書。新潮文庫。三百四十円。
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「日本経済新聞」日本経済新聞社 2001年5月24日、地方経済面、夕刊

 現役僧りょの作家による芥川賞候補作。主人公は東北の温泉療養所で書道を教える僧りょ。彼と入所患者との間に流れていた平凡な時間は、ある男の死をきっかけにバランスを崩し始める。その過程を落ち着いた筆致でつづりながら、生と死、そして宗教のより深い意味を読者に問いかける。
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「読売新聞」読売新聞社 2001年7月8日

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文/上田 紀行

 かねてから疑問に思っていることがあった。日本の仏教者から現代社会に切り込むような発言が聞こえてこないのは何故か。新宗教はともかく、在来仏教からの発言は極めて少ない。仏教的見地から見たグローバリゼーションとか、仏教的教育改革案とか、提言があっても良さそうなものではないか。文学もしかり。五木寛之など在家の作家が仏教について書くことはある。しかし日本文化の基層をなし、これだけ数多く寺もあるのに、仏教作家が教団内から生み出されないのは何故か。
 そう思っていたところに、現役の僧侶の小説家が出現した。玄侑宗久氏は会社勤めの後二〇代の終わりから仏門に入った、現在四〇代半ばの臨済宗副住職である。いかなる小説世界かと興味津々の評者を驚かせたのは、そのあまりの直球勝負であった。主人公は僧侶であり、彼は重い病を抱えた患者の集まる湯治場で、人の死に際に関わり、看取りと葬式を執り行う。僧侶である著者が、死と救済、看取りと葬儀の意味について書く。あまりにまっとうすぎて、どこにも逃げのあり得ない世界が小説のテーマとして選ばれているのだ。
 mizuそれに加えて、著者は第二の主人公として、キリスト者の女性を登場させた。聖書を心の支えに、末期のガンを患いながら献身的に生きる美しき女性と、仏教に半ば醒めた疑問も感じつつ、看取りの意味について真摯に考え抜くひとりの僧。それは仏教者がキリスト者の救いを理解できるかという、宗教理解の問いを含みつつ進行する、仏の愛とキリストの愛の交点を探る物語でもある。
 この愛の物語のクライマックスは、看取りのその瞬間にある。その半ばショッキングな情景をここに述べるのは控えよう。ただ、そこには何千回と葬儀を行ったであろう著者の透徹した臨終感がある。臨終とは送るものと逝くものの恍惚、エクスタシーの中にこそその本質がある。そして一見異教的なその恍惚にこそ、異なる宗教が歩み寄れる原初的救いの地平があるのだ。この作家からしばし目が離せそうにない。
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