| 2007年3月22日(3) |
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ラオスでは、仏教以前の信仰である「バースィー」も上手に仏教に組み込まれている。これは日本のお寺や神社でお守りなどを売るのと同じ意味合いだろう。和尚さんが直接信者さんの手にbaci と呼ばれる紐を結び、健康や旅の安全などを念じながらお経を唱える。またお寺の境内には大抵籠に二羽ずつ入れられた鳥を売っており、信者さんたちはこれを買ってその場で空に放つ。鳥たちの感謝の思いが、やがて功徳になって返ってくるらしい。「慈悲」を受けるためにわざわざ籠に入れられる鳥たちも難儀だが、不殺生に対する意識は育つような気がする。
ビエンチャンの大きなお寺で、私は住職さんにいろいろ質問させていただいた。非常に興味深かったのは、剃髪は満月の前日だけということ。日本の道場では4と9のつく日に剃髪するが、こちらでは釈尊の誕生も成道も般涅槃も満月の日だったとされるため、それに敬意を表するのだろう。また瞑想時の姿勢や足の組み方を伺うと、「好きにすればいい」という答え。この国での「型」は徹底して自然発生的である。「大切なのは心の平安だけ」というのもこの住職さんの言葉である。両手を前に翳したラオス独特の仏陀像の意味を、僧侶暦10年の通訳は Stop Fighting だと説明した。何をしたら入れられるのだろう、この真っ赤な部屋は修行者の懺悔堂である。 |
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| 2007年3月8日(2) |
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ラオスの古都、ルアンパバーンの朝の托鉢風景である。市内の僧侶たちは毎朝6時半から7時まで、こうして正式な服装になり、はだしで托鉢する。沿道にゴザを敷き、跪く人々は餅米やお菓子、また紙幣などを布施する。横に箱を持って立っているのは、おこぼれを期待して集まる子どもたちである。鉢いっぱいに供物をいただいても、なお沿道の市民は続く。そこで僧侶たちは、貧しいこの子どもたちに鉢の中のものを与え、そしてまた市民からいただくのである。理想的な循環のような気がする。
むろんこの子どもたちも、どんなに貧しくても出家しさえすれば食べることには困らなくなり、また勉学のため、学校にも通わせてもらえる。ラオスで最も知的でポップなのは誰よりも僧侶たちだろう。最近できはじめたインターネット・カフェは、観光に来た欧米人と僧侶にほとんど占拠されている。
僧侶に右肩を出している人とそうでない人がいるのは、20歳以上と以下の違い。別な言い方をすれば、僧侶と小僧さんの違いである。20歳以下の小僧さんは、朝の寒い時間でも肩を隠すことはできないのである。 |
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| 2007年2月24日(1) |
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なにを隠そう、じつはラオスに出かけて象さんに乗ってきた。長年の夢だったから、とても嬉しい。ラオスには野生の象もたくさんいるらしいが、むろん私が乗ったのはトレーニングを受けた象で、なんと同乗したラオス人の、言葉の指示で動く。体力も旺盛な45歳のメスで、名前は川の名前からつけられたメナムである。背中に取り付けられた椅子では満足できず、私はメナムの肩に乗せてもらった。約1秒に一歩というゆったりした歩みが、林から坂道、そして川やブッシュへと私を運んでくれた。単なるお荷物の客ではあったが、メナムがさほど嫌がってもいないふうだったのが嬉しかった。気温は38度くらい、メナムの体温もそのくらいだろうか。 |
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